北の道24 Caridad − Ribadeo


6月9日(木)Caridadのアルベルゲを7時に出発する。町の中を進んでいたら通りにあるバルの中でサンダルおばさんが朝食を食べていた。私に気付いて手を振って挨拶してくれる。サンダルおばさん、無事に近くの宿に泊まる事ができたらしいので今更だけど安心する。
 町を出て淋しい所までやってくると、カリダド町の終わりを示す看板が立っている。スペインでは町に入る手前と町を出るところには必ずこのような看板があり、町の終わりの看板は赤で斜線が引かれている。

 2時間歩いて海の近くに出る。素晴らしいロケーションのところに公営アルベルゲがあった。ドアの張り紙に10時受付と記してある。10時とは珍しいくらい早い。今9時40なので、少し待てば泊まれるし、こんなロケーションのアルベルゲに泊まれたらいいなーと思うも、時間が早すぎるので通り過ぎるほかないのが残念だ。町の中に入っていったら、通りのバルでマルテンが朝飯にしていたので同じテーブルに座ってカフェコンレチェを頼む。マルテンが「朝食は?」と聞くので、私はアルベルゲを出発する前に自家製ボカディージョとジュースで朝飯を食べてきたのでコーヒーだけ飲めばいいのだ。マルテンは後からやって来た私に合わせるのか、もう一杯コーヒーを頼んでいた。
 ここからは二人で歩くことになる。歩き出そうとしたところへバスがやって来て、ダイミョーのおじさんが降りてきた。膝を悪くしたので、今日はバスを使い、ここのロケーションが素晴らしいアルベルゲに宿泊するそうだ。みんなそれぞれに合った色々なスタイルで巡礼を続けている。

 マルテンのバックパックは60リットル用で、私の40リットルよりはるかに大きい。それに目一杯何かを詰め込んでいるので、相当な重さだろう。私の荷物は削れるだけ削っているので、マルテンのよりずっと軽い。それでも水と食料を入れると10キロはありそうだ。できればあと2キロ減らしたいが今回の旅ではそれは無理だ。今のところは捨ててしまえる物がなにもない。

 海沿いの道は景色が素晴らしく、やっぱりラ・コスタを選んで良かった。道路から少し高くなった所に教会があり、マルテンが景色がいいから休んで行こうと言っている。こっからは一段高くなった丘にしか見えないのだが、そう言うので登って行くとそこは素晴らしい景色だった。マルテンも詳細なガイドブックを持っているので事前にここが美しいポイントだと知っていたらしい。一人で歩いていたら絶対に見逃すところだった。


 海岸にせり出した丘の上にはポツンと小さな教会があり、宮崎ハヤオの映画のひとコマのようなだった。大きなテーブル付きベンチが幾つもあり、ここは公園になっているのが分かった。手持ちの食料を少し食べてゆっくり休んで行く。

 リバデオ近くなって、二人してカミーノを見失う。タブレットを引っ張り出してGPSで確認すると大よその方角は分かるので、そっち方面に歩いていくと大きな大きな橋が現れた。橋の上を歩いていくと、反対側のたもとにアルベルゲらしき建物が見えてきた。この辺りの地図は覚えていたので、間違いなくアルベルゲだと確信する。近づいて行くと建物の外には数人ペリグリノらしき人影が見えて、洗濯物も干されている。橋を渡り終えてからぐるっと回って玄関に近づくと、先着の女性がシックス・セブンとか言いながら私たち二人に番号を振っている。ここは12ベッドしかない小さなアルベルゲなので少し心配していたがベッドはまだ十分に余っていた。運良く私は下段ベッドを取れたが、タッチの差でマルテンは私の上段になったのでちょっとだけ悪い気がした。

 昼飯はマルテンが作ってくれるそうなので、二人で少し離れた町まで買い物に行く。いつもの1リットルビールがなかったので、EstrellaGaliciaの500mlを2本と、夕飯にマルテンと飲む用にワインを1本買う。それといつも買っているような食糧を仕入れる。マルテンは調理用に色んな食材を買っているので、結構本格的なようだ。アルベルゲに戻ったらすぐにキッチンで調理を始めたので、私は談話スペースのテーブルでビールを飲み始める。野菜も取らなくちゃダメだよと言うCMの通り、カット野菜を買ってきたがこのアルベルゲには塩がなかったので、よく持ち歩いているインスタントスープの粉末を野菜に掛けて味付けしたらこれが結構いけた。インスタントスープにこんな使い方があったとは自分でも驚いた。これで塩がなくても野菜が美味しく食べられることが分かった。アルベルゲにはフォークも置いてなかったので、スプーンでサラダをすくって食べる。なんでもあるものを上手に使うしかない。

 サンダルおばさんが2時半に到着してきた。良かった、今日はまだベッドが2つ残っていた。膝を痛めてしまったようで、サポーターをしている。体重が結構ありそうなので、そういう人はみんな膝を痛めてしまうようだ。そういえば朝、バスでやってきた巨漢のダイミョーも膝を痛めたと言っていたな。
 サンダルおばさんがティーバッグらしき物をふたつくれたので、マルテンにひとつ上げる。私の日記帳に名前を書いてもらったら、電話番号まで書いてくれる。名刺もくれて、名前やメルアドが記してあった。失礼ながら名刺を持ち歩くタイプに見えなかったので意外だった。(この名刺のお陰で帰国してから写真のやり取りができた)南米のプエルトリコからやって来て、名前はナエミ。日本の名前みたいだけど微妙に違う。ナミエやナオミなら日本の名前だと言ってみる。

 最後のベッドはリトアニアからやって来たソロの細っこい女の子がゲットできた。リトアニアって、確か杉原知畝が命のビザを書いたところだったんじゃと思い出したので、チウネスギハラを知っているかと尋ねたが知らないそうだ。日本でだけ有名なのかな?
 そのあとやって来た自転車おじさんのベッドはなかった。でも自転車は距離が稼げるのですぐ次の宿まで行けるだろう。自転車ペリグリノが先にチェックインした後に徒歩の人が来るんじゃなくて良かった。

 マルテンのスープが出来上がってよそってくれる。本格的なものでとても旨くて驚いた。マルテンはプロの料理人ではないが、料理は趣味だと言っている。サンチャゴに到着後はバスでフィステラまで行くそうだ。私は北の道のあとも別の道を歩き続ける予定だと伝える。

 明日からの巡礼路は海を離れてサンチャゴまで山の中を突っ切って行くコースになり、21km先のGondanを目指す。アルベルゲのベッド数は今日と違って30もあるので急がなくても余裕だろう。でも、マルテンによると上り下りがきつそうなことを言っている。ナエミもスマホの高低表を見せてくれる。

 夕飯には私がスパゲッティを作ってマルテンに食べさせたる。もちろんソースは日本から持ってきたインスタントのペペロンチーノだ。マルテンがオリーブを提供して私がワインとポテチを出して飲む。ここのアルベルゲには鍋や皿はあるのだが、フォークが一本もないのでスプーンでスパゲッティを食べる羽目になる。

北の道25へつづく